「書くのが苦手」っていう気持ちはどこから発生するのでしょう。
誰かに何かを言われたとか、上手だとほめられた誰かの文章を読んでギャフンってなったとか・・・。「苦手」という気持ちは自分のうちから自然に生ずるものではなく、そこにはかならず「他者」の存在があります。
「こんなのは感想文じゃない。なんで書けないの?」
忘れもしない、わたくしの母のことばであります。 母は、自称・作文が得意な人でした。そんな母の娘なのに、わたしは作文が苦手でした。「感想文も書けないなんて、なんと嘆かわしい子!」くらいの扱われ方をしたという、嘆かわしい記憶を持っております。
ほかに作文で覚えていることといえば、先生に内緒の告白をしたつもりで、 「うちのお母さん。おこるとオニできんじょにめいわく」 みたいなことを、ぽそっと書いたのです。
そしたら、担任の先生がいたく気にいってしまい、わたしに断りもなく新聞(日曜欄みたいなやつ)に投稿してしまいました。先生は家庭訪問でわたしと母親を驚かせるつもりで、「お子さんの作文が新聞に載りましたよ!」と嬉々としながら報告したのです。
しかしながら、わたしの母は、作文に書いてあった通り、「おこるときんじょにめいわくなくらいのオニ」なのですよ。先生の帰宅後、母の逆鱗をかったのはいうまでもありません。「先生はバカなのか?」と思いました。これだから、大人は信用できません(笑)。
「二度と、ほんとうのことなど書くまい」
そう誓った、小学生の初夏の思い出であります。
こうして、わたしは作文も感想文も、早々にしょっぱい記憶が刻まれてしまったため、とにかく文章を書くのも国語も大キライであり、大の苦手であり、漢字練習帳に「うんこ」って100回書いて脱走するくらい、書くことに関しては、敬遠に敬遠を重ねる人生だったのであります。
なぜ今、エッセイなんて書いているのか。
いわゆるライティングメソッドのようなものも、大人になってから一度だけ教わりにいったことがあります。でも、正しい(らしい)書き方を教わったところで、わたしは書けるようにはなりませんでした。
つまらん。 こんなもの、誰が読むんだと。
まるで幼稚園児の小さなお弁当箱にちまちまとことばを詰めていくような、みみっちい文章しか書けませんでした。おそらく同じようなことを、その時の先生も思ったのでしょう。
「今まで教えた書き方ぜんぶ無視して、好きに書いてください」
それだけ言われて、カリキュラム終了(チーン・・・)。
ある意味、文章の先生からも見放された、嘆かわしい生徒だったわけです。 でも、わたしはここで「書き方を無視して書いていい」と先生からお墨付き(?)をもらったことで、書けるようになりました。
世の中には、正しい書き方教わってスラスラ書ける人、型があったほうが気持ちよく書ける人もいます。でも、型に当てはめたり、正しい書き方なんて教わった日には、マジでしょうもない、つまらん文章しか書けない、そういう人間もいるんです。わたしのように。
そこにことばがあるから書く。
文章の先生から見放されたのち、わたしが書くことと和解できたのは、詩を書きはじめたことだったように思います。
「何を書いてもいい。」
自分に与えられることばをただ書いていくうちに、少しずつ書くのが苦手という呪いが解けていきました。
何の因果か、詩を書くことで回復した母の娘は、学校の詩の授業で「なにがいいたいかわからない」と先生に言われて玉砕して帰ってきたことがあります。でも、もし人にわかってもらえる言葉を並べることだけが詩なのだとしたら、わたしは詩など一生書くことはできなかったと思うのです。
誰にもわかってもらえなくても、自分という器に放り込まれてくることばを紙の上に置かずにはいられない。それでも詩になると信じていたから、わたしはかろうじて詩を書くことができました。今にも消え入りそうなことばを掬い上げることで、自分が書いた詩にも、誰かが書いた詩にも救われてきました。詩は、こころとことばの温度がぴたりとあったときにだけ、その人だけに捧げられる、とても神聖なものではないかと思うのです。
娘は、まど・みちおさんのけむしの詩を見て娘はクスッとわらいました。
ひとしずくのことばで、思わず笑ってしまったり、癒されたり、しあわせな気持ちになれるのは、人間だけです。
書き言葉は不死だ、なんてこともいわれています。でも、ほんとうは、どのことばもいのちがけで、自分のところに飛び込んできてくれているのです。なぜなら、飛び込んでも、ほんとうに書いてもらえるかどうかはわかりません。書いてもらえたけど、推敲のなかで消えていくことばも山ほどあります。
書かれたことばは、書かれなかったことばの祈りが捧げられているのです。
TOMOKO
