先日、娘と一緒に本屋さんに立ち寄ったら、みすず書房フェアのコーナーが!
長田弘さんの『世界はうつくしいと』を衝動買いしてしまいました。
長田弘さんは、『全詩集』を持っているのですから、あたらしい詩集はもう買う必要はないのです。それなのに、いったい何冊買えば気が済むのでしょうか。


詩は生きるために必要か
詩なんてなくたって、死ぬことはありません。 だけど、詩を感じられない毎日を過ごしていると、こころが貧しくなっていってしまう。詩を忘れて生きるより、詩がそばにある人生がいい。 長田さんの詩は、そう思わせてくれる詩がたくさんあります。
でも、長田弘さんの詩やことばに深くハマりだしたのは40代に入ってからのような気がします。長田さんのことばは、なんていうか「逃げられない」からです(※あくまで私個人の感想です)。
透明できれいなことばだけが並んでいるのでもなく、大げさに言っているのでもなく、自分の手元、足元から、みんなが見て見ぬフリして通り過ぎている、ほんとうのことを話しかけてくる。
書き手が一切をうやむやにせず、一語一句、ことばを厳選して真実をつたえてくるので、逃げられません。読み手もピリッと身が引き締まる思いがする、といえばいいのでしょうか。(※再:あくまで、個人の感想です。)
こんな風に書くと、敬遠されてしまうかもしれませんが、長田さんの詩でわたしが最初に心うばわれたのは、「最初の質問」という詩でした。

いせひでこさんの挿画で、とてもきれいな絵本にもなっています。もしよければ図書館などでお手に取ってみてください。
なぜ詩に救われるのか
十年ほど前、ペンネームまでつくって詩を書くのにハマっておりました。ダンゴムシの詩をつくって、今はなき『詩とファンタジー』に投稿したのもその頃です(ダンゴムシのふるふる)。詩を書くと決めたら、いつもの景色がまるで違って新鮮に見えたのを、今でもよく覚えています。詩を書くことは、絵を描くこととどこか重なっているような気がしますね。
なにかを美しいと思う気持ちも、なにかを悲しいと思う気持ちも、やっちまった!と後悔する気持ちも、どれも「気持ち」という目に見えない、不確かなものです。
詩に救われるような気がするのは、ひとりぼっちではどこか心許ない気持ちのことであっても、詩の上ではその存在を確かあえるから、かもしれません。詩に救われる「気持ち」すらも、詩の上でだけ確かめられる。
ことばは、詩を感じられるこころをつくった。
それは、わたしたちにとって希望なんじゃないかと思います。
詩を愛する人の数は?
松下育男さんが、詩を創作までする人の数は、昔も今も、これからもほとんど変わらないんじゃないかっておっしゃっていました。 その数、日本で2千人くらい・・・と言っていたような。
谷川俊太郎さんみたいな人を別にすると、とにかく詩集は売れないと。 初版でせいぜい500部。1000部刷ってもらえたら「すごいね!」っていわれる世界だっておっしゃってました(当時)。
SNSが当たり前になり、最果タヒさんのような若い詩人も活躍するようになって、詩を愛する人の人口は以前よりは増えたのでしょうか。でも「ネットで読める」のも当たり前になっていますから、詩集まで買う人の数は相変わらず、なのかもしれません。
俳句や短歌と比べると、詩はマイナーなのかもしれませんが、人知れずこっそり書いている人はいるんじゃないかって思うんですよね。かつて詩を書いていたとき、それを人に言うなんてありえない!と思っていました(だからペンネームをつくってましたし)。
めっちゃ暗いやつやん(実際暗いんだけど)、変な人だと思われそう(実際、すごく変なんだけど)とか、人からどう思われるかが気になって、詩をつくってるなんてとてもじゃないけど言えなかったのです。そういうビビりな人間ほど、詩にハマることを考慮すると、2000人よりは、ほんのちょっぴり多いのかもしれませんね。
【編集後記】
長田弘さんと同じくらい「みすず書房」が好きです。選ばれる著者の内容の濃さはもちろんですが、一貫してシンプルな装丁と帯を貫いているところも好きです。
全体的にちょっとお高いので、ポンポン買える本ではありませんが、ちびちびと蔵書が増えていくのが嬉しい、そんな本であります。
