スクランブル交差点

見渡す限り、人・人・人。渋谷の人ゴミをかきわけて、やっとの思いでスクランブル交差点を渡り終えた。これから予定があるというのに、既にぐったりしている。駅の反対側には、私が通っていた大学がある。渋谷の街とはいまひとつ仲良くなれないまま大学を卒業したのは、もう十五年前の話だ。

私の足取りが重いのは、渋谷の人ゴミのせいだけではない。今日は月に一度通っている起業塾の日。かつての長期休暇明けの出社日より憂鬱なのはなぜだろう。

一年前までは普通の会社員だった。いや、むしろフツーの会社員より、会社員を極めようとしてきた私だった。二十代でわざわざ転職までして選んだのは

「女性でもキャリアアップできる」
「能力、成果で評価される」
「海外と仕事ができる」

そんな会社だった。男性が8割という職場で、男性にも負けじとキャリアを積み重ねてきたのは、自分の裁量が増えれば、もっとできることが増えるはず。そう信じて疑わなかったからだ。でも、蓋をあけてみれば、職位が上がるほど長年のしがらみや、トップの意向にからめとられていくことが増えていった。事なかれ主義で役員にゴマをするイエスマンでいる方が、トントン拍子でコトが運ぶ。そうわかっていても、そういう自分を演じるきることが、残念なくらい下手な私だった。
何かが違う。このままでいいとは思えない。この仕事は一体、誰を笑顔にしているの?違和感を感じるたびに、直球で挑んでいく私に、上司はよく苦言を呈していた。仕方なく、膨大な時間をかけて根回しをしても、役員の鶴の一声で全てが無に帰すことも少なくなかった。変えたくても何も変えられない。目の前に立ちはだかる大きな組織の壁は、想像以上に厚かった。

それでも産休、育休、フレックスまで整っている、世間から見れば「恵まれた」会社だったから、結婚しても、子どもが産まれても、仕事を続けるつもりでいた。けれども、産休を目前に控え、仕事の引き継ぎを進めながら、存在感を増していくお腹と反比例するように、組織の中での私の存在感は薄れていった。当たり前のことだけど、私の業務の穴なんて、まるで最初からなかったかのように、なめらかに埋まっていく。会社という組織における「わたし」というものは、なんて不確かで曖昧なものなのか。人が抜けようが、入れ替わろうが、会社という巨体は動き続ける。そんなこと、ずっと前からわかっていたはず。ううん、違う・・・。私は本気でわかろうとして来なかった。自分の存在の確からしさを、必死に職場や仕事に求めてきた私は、そのような残酷な現実を直視するのが怖かったのだ。でも、もう無視することはできない。かつてないほど、とりとめのない虚さに包まれながら、私は産休に突入した。

書いた人

ろっぺんのアバター ろっぺん 自分メディアプロデューサー

経営者や起業家特有の尖った個性や発想を活かしたユニークな世界観やストーリーを伝える「作品型メディア」で、独自のカルチャーを育てることで、顧客や共創するパートナーとの出会いや、新たな事業の可能性を広げる「発酵型メディアマーケティング」を提唱。

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