書くことに、目的なんて要らない。
正解探しの檻を抜け出し、生身のわたしを解き放つ。
わかりやすくまとめられた言葉。
読まれそうだからと選んだ、誰かの正解。
それらを差し出すたび、胸の奥に重たい石が沈み、心が澱むのはなぜだろう。
わたしたちは血の通った生身の人間だから。
摩擦のない記号の海では、わたしたちの心は冷え切ってしまう。
そんなことばなら、もう要らない。
なぜ書くのか?
「なぜやるのか」
「何の役に立つのか」
「どうすれば読まれるのか」
私たちはいつからか、「何のために書くのか」「なぜ発信するのか」という目的の檻に閉じ込められてしまった。
「なぜ書くのか」という問いは、ときに残酷なほど書くことへの衝動を切り刻んでしまう。「なぜ」に答えられなければ、価値がないとみなされ、そこから外れた寄り道は「時間のムダ」と教えられる。
わたしもそうだった。
「なぜ?」と問い、「なぜ?」に答えられるようになると、なんとなく大人の階段をのぼった気がしたものだ。
ほんとうはそんなこと、どうでもよかったのに。
理由なんて、ない。
子どものころに夢中で泥団子をつくるとき、「なぜ?」なんて考えていただろうか。
ただ、土のザラザラした冷たさに触れ、形が変わっていくこと、ツルツルすべすべとした感触に胸を躍らせていた。それだけで十分だった。最高にしあわせな気持ちで満たされていた。
絵を描きたくてしょうがないこどもは、放っておいても描く。
何枚でも描く。何百枚でも描く。
書くことも、同じだったはずだ。
そこに、ことばがあるから書くだけだ。
ものごころついた時から、ことばがあった。
幼いこどもは、話したくてしょうがない。
だから、驚くべき速さでことばを話せるようになった。
それと同じように、ただ書けばよかったのだ。
目的?
そんなものは大人が時間をつぶした理由を説明するための言い訳にすぎない。
わからないから、書く。
書くことに、目的なんてない。
それは、呼び水にすぎないからだ。
自分でもまだ名づけようのない感情の輪郭に触れ、言葉になる前の、暗がりの中の微かな光をじっと見つめ、自分という生きものの、一番深い底から立ち上がってくる音に、耳を澄ませる。
最初から書きたいことが分かっている人なんて、いない。
なぜなら、わたしたちがほんとうに書くことができるのは、わからない「何か」に触れているときだけだからだ。
目的も、行き先も、結論もわからない。
心の中にある、モヤモヤとした得体の知れないかたまり。
言葉にした途端にこぼれ落ちてしまう、微細な感情。
生じた途端、忘れてしまいそうになる感覚。
ことばにならないものの存在を、いちばん強く感じるのは、いつもことばにしようとしている最中だ。
わかりきったことを書くなら、さっさとAIに任せてしまえばいい。
書くことに、ほんとうは目的なんて必要ない。
目的に翻弄されるから、ことばが濁っていく。
書かなくてもいいものを書いてしまう。
せっかく生まれてきたことばを裁き、息の根を止めてしまう。
書けていたはずのことばが、どれほど失われていったことか。
ことばは、いのちなのに。
死なないAIに書けないことば
書くことは、じぶんの生、いのちをここに呼び戻すための「呼び水」にすぎない。
わたしたちは、死ぬことが決まっている。
生身の人間である生の感覚と感触からしか生まれないもの。
それを、書かないで何を書くというのか。
生々しい生の感覚、いのちの衝動をなおざりにしたところに、
わたしたちが書くべきことばなど存在しない。
それこそ、そんなことばは、何の意味ももたない。
海には海のことばがあり、森の木々には森のことばがあるように、
あなたには、あなたのことばがある。
それを書けばいい。
どうしても書けないのなら、生きた人間と対話せよ。
一人きりで海の底に潜り、息を詰めて、
自分を裁き、地上の言葉に合わせようとするから窒息する。
あなたの潜る深さまで一緒に降りていき、その波長を遮ることなく、ただ共に耳を澄ませてくれる。そういう人間だけを目の前に置けば、なにも恐れることはなかったのだとわかる。ただそれだけで、生きた心地を取り戻せる。生の喜びがそこにある。
必要なのは、真剣な対話ができる、その場所だけだ。
LISTENは、互いの生身を差し出し、濁りや穢れを洗い流し、己の命が鳴らしたがっている音を、一緒に潜って聴いていく。
LISTENの循環プロセス
人が生身の対話に身を委ねるとき、止まっていた「生」が、ふたたびめぐりはじめる。
今感じる言葉をそのまま声に出す。一行も書けなければ、「書けない」とそのまま声にすることからはじめる。声がつまずく場所、上滑りする場所には、必ず借り物の正解が張りついている。あなたの言葉の現在地を生身の耳で受け止め、確かめる。
頭で考えるのをやめる。「どう思われるか」という外からの視線を遮断し、いま、胸の奥で何が疼いているのか、その微細な違和感、自分の中心に意識を戻す。世界を要約せず、あなたの皮膚が触れている現実から足場を組み直す。
「うまく書こう」「正しくあろう」とする力みは、意志の力で外すことはできない。紙の上で手を動かし、意味や目的の檻から逃がす。わたしたちの意識がことばを書くのではない。ことばがわたしたちに書かせるのだ。思考のエゴが外れた隙間、押し殺していた生々しいことば、感情、衝動が顔を出す。
「わたしはこういう人間だ」という狭い観念の枠組みを壊す。普段なら選ばない声、選ばないトーンに自分を放ってみる。生まれてくることばに身を委ねる中で、思っていたよりずっと野生的で、広大な表現者としての自分に出会い直すことができる。
濁りを削ぎ落としたあとに残った、あなた固有の音を響かせる。誰かの真似ではない、あなたの命の鼓動そのものの言葉で立つ。
ことばとともに生きるわたしたちは、つねにこの循環プロセスのどこかにいる。
どこに立っているかは、人それぞれちがうし、朝と晩でも違う。
今、どこであっても構わない。
今いるところから書き、生まれてくることばに耳を傾ける。
それだけで、みずみずしいいのちの鼓動と息吹を取り戻すことができるのだから。
LISTENの概要と価格
書くことは、本来たった一人で引き受けるものかもしれない。けれども、一人きりで自分を裁き続ければ、言葉はいとも容易く窒息し、死んでしまう。
生きた言葉を取り戻すために必要なのは、そこがたとえ暗がりの中であっても同じ深さまで降りていける生身の他者だ。
他者の息遣いに触れ、言葉を交わす。
そうして、言葉はふたたび血を通わせ、息を吹き返す。
LISTENは、あなたが書き手としての純粋な呼吸と生を取り戻すための時間だ。
形式:90分(Zoomによる一対一の対話)
事前準備:事前に共有したい文章があれば、前日までにお送りください。もちろん、手ぶらでも構いません。
価格:11,000円/回(税込)
お支払い方法:クレジットカード決済 (Stripe)
*銀行振込をご希望の方は、お申込み後メールでご連絡ください。
終わりに|小さきものたちの声を聴く
森に静けさを感じるのは、無音だからではない。
木の葉のざわめき、小鳥のさえずり、虫の声、枯葉の乾いた音、
小枝が折れる音、それぞれ異なる無数の音が重なり合っている。
それでもうるさいと感じないのは、森がそれらの音を裁くことなくただ迎え入れ、耳を澄ませているからだ。肯定も否定もせず、ただ存在をあるがまま聴いてもらえる場所に身を置くとき、人は時間を超える深い安堵に包まれる。
言葉を選ぶことは、どう生きるかを選ぶことだ。
ことばが生まれ直すたび、あなたも生まれ直している。
LISTENは、あなたから生まれたがっている言葉の息づかいを、そのまま抱きしめることばの森だ。
広大な森に一歩足を踏み入れたあなたが初めて放つその一音を、耳を澄ませて待っている。
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