そうだ、絵本をつくろう。

前回、シェル・シルヴァスタインの『大きな木』という絵本について、あーじゃこーじゃとメルマガで書いた日「ママ、前に紫の本つくってたじゃない?私もあーいう本をつくりたいんだけど・・・」と娘が言い出しました。

紫の本ってのは『星しるべ』のこと。つまり、Kindleで絵本をつくりたい!という話です。メルマガの中身なんて話してないのに、不思議です。それはいいね!つくろう、つくろう!という話になったのであります。

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そうは言ったもののKindle絵本ってどうやってつくるの?

ところで、Kindleで絵本ってどうやってつくるんだろう(笑)。Kindleで漫画も読んだことあるから多分つくれるはず。そう思ったものの、つくり方は知らなかったので、週末あれこれ調べてみたんですよね。で、こりゃ実際につくってシミュレーションした方が早いわってことで、試作してみることに。

Kindleで絵本をつくるときに私が使ったのはこの3つ。

1)Kindle Comic Creator
2)アイビスペイント
3)Canva
*Kindle Kids Book Creatorは日本語に対応していないのでご注意を

パパ=ネタです
Kindle Comic Creatorで編集

こどもの絵って、ずるいよな〜(笑)。親バカ全開で言いますけど、うちの娘の「パパの描き方」はかなり面白いので、Kindle絵本が完成したら、ぜひお手に取ってみてください→こちらで入手できます(11/26追記)

今、この瞬間だけの目線と、今しか描けない絵。ほんの1ヶ月ですっかり変わっちゃうなんてこともありますから、こういうカタチで残せるのもいいなって思いました。せっかくなので今回はオンデマンド印刷も試してみたいところ。

ところで、11月30日って「絵本の日」らしいんですよね。そこで電子版の方は、11/26〜11/30で無料ダウンロードキャンペーンを実施しています。

ところで、先日紹介した『大きな木』もそうですが、大人になってから読む絵本もいいものですよね。お仕事で「心」のことや、「こども」「動物(ペット)」を扱う人は、読者との心の距離が近いですから、絵本と相性がいい気がします。ゴリゴリと文章を書いていくKindleもいいけれど、絵本をつくるという選択肢。これも入れてみてもいいんじゃないでしょうか。

アイデアやひらめきという美しい鳥と仲良くするには

娘は去年、YouTubeをはじめたり、LINEスタンプつくってみたり、まぁとにかく「やってみたい!」って言ったことは、とりあえずやってみる精神で、一緒に試してガッテン!してきました。彼女は母親のやってることをとてもよく見ています。ママは文章(メルマガ)を書いているらしい、動画もつくれるらしい、こんどは紫の本を出したぞ!とかね。

でも、それを見ている脇からすぐさま「私もやりたい!」と言いだすことは、ほとんどありません。(ママをつかえば)できそうなことが、しばらく彼女の頭の片隅にあって、彼女の中で機が熟すと「私もやりたい!」って言い出します。自分だったら何を伝えるのか?どう表現できるのか?それが温まってくるのには、タイムラグがあるっていうことを、本能的になのか、彼女はちゃんとわかっているようです。そういうところは、私より全然オトナだなって思います(笑)。

脳にはレセプター機能というものがあるので、スイッチONにしておけば、ふとしたときに、ひらめきやアイデアが集まってきます。でも、せっかく自分のところに集まってきた美しい鳥(=アイデアやひらめき)も、今は無理だから・・・って放置していると、その鳥たちは別の人のところに逃げていってしまうんですよね。

私はそれこそ英語版の「大きな木」をゲットした頃から「絵本がつくりたい」って思っていた気がします。それっていつだったかというと、ハタチの頃ですから、20年以上前です(笑)文章に携わるようになった2018年頃にも絵本がつくりたいって言ってたはずですが、自分では絵本にしたいと思える絵が描けないしなぁ・・・なんて言い訳していたら、絵本の鳥が帰ってくるのに、一体何年が経過していたのでしょうか(苦笑)。

もちろん20年前は「Kindleで絵本を」なんて選択肢はありませんでしたし、娘のおかげで機が熟して、という捉え方もできなくはありませんが、アイデアやインスピレーションという鳥は、カゴの中に閉じ込めておくことはできません。自分のところにきてくれた時に、素早くスケッチしたり、言葉を書き留めたり、いざっていうときにお披露目できるように準備しておかないと「今だ!」っていうタイミングでカタチにできないんですよね。その代わり、翼をもった鳥たちは「あなたたちのおかげで、こんな作品がつくれたよ!」ってちゃんとカタチにしてあげると、喜んでまた別の仲間を連れて飛んできてくれます。

今は、Kindleのオンデマンド印刷だけじゃなくて、スマホでアルバムをつくる感覚で出版物を印刷できるところも登場しているようです。ずいぶん選択肢が広がったなぁ!って思います。もちろん、出版社を通じて、紙の本を商業出版がしたい!って人もいると思いますし、それはそれで目指してもいいと思うんですけど、意外と出版社の意向で自分の書きたいことが書けなかった、なんて話もあるようなので、一度は何の制約もない状態で自分が伝えたいことをとことん伝える!っていうのを経験しておのもいいんじゃないかなって思います。それこそ、いよいよ商業出版となったときに、Kindleが1冊あるだけで、出版社の人とも話がしやすくなりますしね。やるか?やらないか?コドモはいつだって創造のスイッチ全開ですが、オトナも創造のスイッチをいれるのは自分次第という時代になりましたね。

創造性、アーティスト性という「野生の力」

創造性、クリエイティビティ、アーティストって言葉に惹かれる人、多いんじゃないでしょうか。私も好きな言葉です。「これらは特別な人にだけ与えられた才能じゃなくて、誰にでも備わっているものなんだよ」みたいな話を言ってる人はめっちゃ多いじゃないですか。だけど問題はそこからですよね。私はどうしたら、それを引き出せるのですか?と。

アーティスト性とか創造性って、みんながみんな「芸術は爆発だ!」って岡本太郎みたいに表出してくるわけじゃなくて、子どものときからとても「繊細な表現」ができる子がいたり(娘のお友達はこのタイプ)、そうかと思えばちょっと粗野なところがあるというか、そのままじゃちょっと扱いに困ってしまう「野生の動物」みたいな出方をしている人もいたり、とにかく色とりどりでバリエーションがあります。だからこの世界は美しい。

前者のタイプだったら、わりと子供のころから学校の先生から褒められることも多いんじゃないかなって。ほんとに小学生?!って思うような、繊細で心に響く表現ができたり、仕事も最後まで緻密だったり、丁寧で細やかにできたりする子もいますね。

じゃあ、後者の野生動物タイプはどうか?保育園、幼稚園くらいまではいいんだけど、小学生くらいになると、先生たちは学習指導要領の消化に忙しいですから、野趣あふれる創造性を面白がってくれる先生って少ないんですよね。残念ながら、手に追えないとか、厄介者扱いされることの方が多いので、学校に限らず、そういう師に出会えたらめちゃくちゃラッキーだと思います。

娘が2年生のとき、図工の時間に太陽に顔を描いていたら「太陽に顔なんて描くのは、コドモっぽいからもうやめなさい」って先生に言われて、まだコドモなのに!って怒って帰ってきたことがありました(笑)。「その太陽は、何て話しているの?」とか、もうちょっと違う声の掛け方をしていたら、そこで作品が止まってしまうことはなかったのになぁ・・・って。

月にも太陽にも「顔」が見える。某ヨーカドーの顔が見える野菜シリーズより、私は彼女の見ているその顔を信じていますが、その先生は、そうは思えなかっただけ、と言うこともできます。アートとか表現の世界は、好きという人もいれば、嫌いって人もいるのが常ですから、致し方ないのかもしれません。ただ、こどもの感じ取っている何かを、オトナの「当たり前」の枠に押し込めるのは、極端な言い方をすればコントロールしやすくするための家畜化と同じじゃないかって思うこともあるんですよね。誤解していただきたくないんですけど、私は家畜が悪だって話をしてるんじゃありません。持っているものを引き出し、どんなふうに育てていくかに心を配るのが、本来の「教育(education)」じゃないだろうかと思っているだけです。

話はちょっと変わりますけど、鳥インフルエンザが流行ると、スーパーから卵が消えるじゃないですか。でも、そんな時でも「平飼い卵」だけは売り場に出ているのを見たことある方もいると思うんです。野生に近い強さを備えていると、ちょっとやそっとのウイルスで共倒れするなんてことはないということ。均質な量産化は、一見とても便利だし、コントロールしやすいけれど、同時にいのちが持っているはずのしなやかな強さを奪い取っている。このことについて、心のどこかで漠然とした違和感や不自然さ、危機感を感じている人も多いんじゃないでしょうか。

創造性、アーティスト性という言葉が私たちの心を掴んで離さないのは、均質化されたシステムに、一石投じられるのは、ここだと直感しているからだと思うのです。

本当に求めてる成果って何ですか?

娘はおそらく、自分の中にうずまく「野生」を、どうしても残していたかったのだと思います。美しくてキレイに整ったものじゃないですよ。もっと荒々しくて、押さえ込むのが困難な「野生」です(笑)。

野生、本能のままに描いたコマ(笑)

結局、図工に限らず、その先生が苦手すぎて2年生の後半は週の半分くらい休んでいました。だからといって、私はただ彼女を自宅に安全にかくまうみたいなことはしたくなかったし、何かしら彼女の「野生」を表現できる場所を、どこでもいいからつくっておきたかったんですよね。YouTubeも、LINEスタンプも、今度やってみたいと言っている絵本も、彼女の野生の健やかなる成長を応援するための「自分メディア」です。今はとにかく片っ端から自分の「野生」をどんどん「創造性」に変換していってほしい。なんでってそのプロセスなくして、創造性なんて育ちようがないから。

こういうのって、「東大に行けます」みたいな勉強法を教えているわけじゃないですから、どこでどう実を結ぶかなんて、全然わかりません。将来に影響があるかもしれないし、ないかもしれない。世間では相変わらず「成果を約束してくれるもの」の方が人気があります。だから、こどもはどんどん減ってるのに、近所の塾は増える一方です。

だけど、
本当に求めてる「成果」って何なんですかね?

案外、それがわかっていないというか、あんまり考えていない人も多いんじゃないかなって思うんです。というより、見るべきは目先の「成果」じゃなくて「未来」のはずなんだけど、その「未来」のことがあまりにもわからなさすぎて、とりあえず困らないように、今までの経験から想像できる範囲で、手っ取り早く、お手元の成果を求めることを繰り返しているだけのような気もします。これは、私はもうその罠にハマっていませんっていうことじゃなくて、私も相当気をつけないと簡単にそのループにはまるからあえて書いてるのですが。

だけど、昭和時代に生まれた人なら「その成果を得て、しあわせになれましたか?」っていう問いに対して、ちょっと違ったかもしれないって、答える人も多いんじゃないでしょうか。これでいいのかな?何か違う気がする。いまひとつ幸せになれていないかもしれない。そう感じていながら、打ち手を見出せず、まさかの昭和と同じやりかたでグルグルし続けるのは、もういい加減、違うでしょ!って思うじゃないですか。

テストでいい点数を取れるトレーニングをして、何かしらのレールに乗るだけじゃ違ったかも・・・って思ったのなら、多少レールから外れても、何か別のアプローチで答えを導きだせるようになっていかなきゃならない。そこには当然レールや答えなんて用意されていませんから、今までとは真逆の発想をしなくちゃいけないかもしれないし、誰かが通った道じゃなくて、けもの道を自分で切り拓かないといけないかもしれない。そんなときに目の前の藪やいばらを見て、途方に暮れるようじゃ進んでいくことはできないですよね。

そこで必要になるのは、未来を想像するイマジネーション力、それを具現化するための、創造力、与えられたもの、均質化されたものを一旦壊して、広げて、再構築する力、直面した困難をもネタにして笑って人に伝えられるくらいの変換(転換)力とコミュニケーション力、それから未来に向かって進む信念じゃないでしょうか。

創造性、アーティスト性を取り戻すのに必要なプロセス

結論からいうと、ある程度大人になってしまってから、まあまあ野趣溢れるアーティスト性を取り戻すには、家畜だった豚が、野生化して猪になった。みたいなプロセスが必要になります。当然扱いづらいですよ、猪(イノシシ)ですから(笑)

「猪突猛進」って言葉があるように、自分本来の創造性、アーティスト性(猪性)を取り戻してるときって、ちょっと周りが見えなくなります。自分のアイデンティティと思い込んでいたものが、「溶ける」みたいなことが起こるからです。自分も、周りからも何をしているのかよくわからなくなったりする。

「猪」って言うとちょっとアレですけど、もうすこし美しく例えるなら、蝶々が羽化していく変容のプロセスでしょう。「猪化」は蝶々の「蛹」の中で起きていることだと思ってください。蛹の中ってドロドロになってるんですよ。昔そういう動画を見たことがあります。芋虫から蝶って、まったく別の生物に生まれ変わるも同然ですからね。アレ、あんまり美しくなかったか・・・。美しくないものから美しいものが生まれてくる、泥の中から咲く蓮の花と例えてもいいのですが、まぁ、とにかく自然の摂理に従えば、なにもかもキレイなまま変容するなんてありえないということです。

さなぎを経て蝶々になれる

この「溶解と再構築」のプロセスは、人によってかかる時間が違います。いわゆる1日24時間、1年365日みたいな、時間の枠組みからは外れてると思った方がよいでしょう。ですから、人と比較するのは無意味です。ひとり自分と対話する時間が大事なこともあれば、むしろ、ひとりじゃなく、誰か「対話」した方がいいこともあります。なんでかというと、「野生の感覚」を取り戻すべく、柵の向こうの広大な世界に飛び出していくので、フツーに迷子になって帰ってこれなくなったりするからです(笑)

何度かこのプロセスを経験して思うのは、このプロセスに立ち会う人は、安心で安全な場所をつくれる人でないと非常にマズイのです。なぜなら、いったん自分が「溶ける」からです。弱いということではありません。ただ、ものすごく不安定というか、不確実性に満ちた感じになるということです。無自覚に本人が望んでいないような方向にコントロールするようなヒトは最悪です。だからといって壊れ物を扱うようにするんじゃなくて、本来もっているはずの強さ、行きたい方向にコンコンとノックしていく、そんなアプローチができる人や場所を持てたら一番いいと思います。

そう考えると、こういうアーティスト性を解放していくプロセスだったり、ちょっと事業が混沌としているときに本当に必要なのは、いわゆるコンサルタントとか、先生と呼ばれる人たちよりは、コーチ的なアプローチができる人だろうと思います。残念ながら、日本はコーチ後進国なので、ちゃんとしたプロコーチは少ないし、ビジネスの世界では相変わらずコンサルタントの方が重宝されいるし、教育の現場でも今ひとつEducationの語源とされる「引き出す」ができていない先生が多い気がしますが・・・

とにもかくにも、創造性もアーティスト性も、まずは自分本来の「野生」を引き出してみないことにははじまりません。ただ、その野生はかつて受け入れられなかったと傷ついていることも多いですから、ちゃんと癒しながら、引き出し、回復させ、広げる、溶かす、再構築するといったことを、丁寧にやっていかなくちゃなりません。とはいえ、喜んでいただきたいのは、この回復のプロセスそのものが、創造のプロセスとほとんど同じだということです。自分の創造性の原型となる「野生」を取り戻すこと。それが、人のもつ本来の創造性を回復させ、育てることにつながっているのです。

【編集後記】
はい、なんか今回はもうめちゃくちゃ長くなってしまったので、これで終わります(笑)娘の絵本が完成したらまたアナウンスしますね。ではでは。
T O M O K O

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書いた人

ろっぺん書房
自分メディアプロデューサー

社員にも、世の中の誰かにもやさしく、着実に成長しつづけたい経営者のための自分メディアプロデュース。発信のコアと、自分らしい発信スタイルを発掘し、新規事業のスタートやリスタートを応援します。

小学生の娘と、スナップエンドウを愛する豆柴と一緒に神奈川県の某所で暮らしてます。

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