目醒めと鼓動 〜ストーリーのちから〜

Journey of yourself

 

目覚め〜日常の向こう側に〜

 

今までの当たり前が

当たり前でなくなったとき、

今までと違う日常に

何を見るだろう。

 

コロナだけでなく、

私たち日本人は

震災や水害、

なんども非日常を

目の当たりにしている。

 

 

そんな状況になって

はじめて

眠らされていたことに

気づき、逆境を力に変えて

生き方を変えていった

人たちもいる。

 

 

創造的に生きる力を

目覚めさせるのも

 

 

外界の変化に

うなだれて飲まれるかも

決めるのは私たち自身。

 

 

人間はいつからでも

生きたい物語を

生きる力がある。

Family

 

啓示 〜Calling 〜

 

Paker.J.Palmer の著書

"Let your Life speak"

で繰り返し出てくる

"Calling" という言葉。

 

Calling とは「啓示」のことだ。

「啓示」というと

神秘的なイメージを

抱くけれども、

 

 

まるで昔の黒電話のように

けたたましくなり続ける

Callingもある。

 

 

かつて
東日本大震災があったとき
私は自動車会社にいた。
そんな状況下でも
「1台でも多く車をつくるのだ!」
そう呼びかける
組織の一員だった。
様々な部品や原料の
供給が止まっていた。

福島に工場があり、

立ち入ることのできない
サプライヤもあった。
世界中で福島でしか
つくっていない
オンリーワンの
原料や部品も
明らかになっていく。
それまで「優位性」で
あったはずのものが、
「最大のリスク」へと
変わっていった。
グローバリゼーションが
もたらした危機。
地震の影響は日本だけではなく
海外にも及んだ。
各拠点から
「どうなっている?」
と毎日確認が入る。
同じことを
サプライヤたちにする。
けたたましく電話をかけ、
報告を数時間おきにさせ、
私の担当している資材も
リスク部品に
カテゴライズされ、
毎日役員報告だった。
余震も油断ならない
その現場に、
在庫の確認から
生産再開あるいは、
代替生産拠点を求める日々。
オンリーワンだった
その資材や部品の
代替生産の要求。
そのサプライヤの
いのちを奪う行為に
思えた。
サプライヤの生命線、
そこで働く人たちの
いのちの心配よりも
われらが工場の稼働、
車の生産、経済活動を
優先っするその行為は
本当に正しいのか。
もちろん、車が作られず
会社の経営が破綻すれば
大量の従業員、その先の
サプライヤが路頭に迷う。
それもいのちを奪う行為だ。
そう説得する私もいたが、
 
誰かを笑顔するために
 
誰かを泣かせていいのか。
 
「私は、この仕事で
 
 誰を笑顔にしていると
 
 言えるのか」
2011年3月。
そう葛藤する私が
すでにそこにいたのに、
目の前で鳴り響く
電話ばかりをとるばかりで、
いのちの呼び声であるはずの
その受話器を
とることはなかった。

 

鳴り止まぬ電話

 

東日本大震災の

供給危機を脱しても、

その年は国内外の

化学プラントの爆発が起こり、

 

なんども、なんども

サプライリスク(供給危機)に

見舞われる年だった。

 

 

週末も関係なく、

ホルンのレッスンを

受けている最中に

電話が鳴ったこともあった。

 

 

時おり音量をあげる

どこからかの呼び声に

気づきながらも

 

 

危機を脱するたびに、

私は、私が取るべき電話を

無視し続けた。

 

応える勇気がなかった。

 

 

聞こえても、

聞こえないフリをしつづけ、

 

音が聞こえなくなると

安堵する。

 

そんな日々を繰り返していた。

 

その物語、舞台にすでに
違和感を感じていたのに、
降りるのが怖かった。
ここが私がいるべき舞台だ。
わたしにはこの脚本しかない。
そう信じこませる方が
簡単だったからだ。
何年も演じ続けてきた。
求められている通りに
演じる自信もあった。

もちろん、

他に舞台があることは

知っている。

 

 

でも、その舞台の脚本は

それこそ生きもののように、

自ら創りゆかねばならない。

それまでずっと、

与えられた舞台と

与えられた脚本で

決められた役を

演じることしてこなかった

 

そういう自分に
甘んじていた私に
突然それができるとは
思えず、

怖かった。

「なんて退屈な脚本なんだ」
そう思う日があっても、
「まるで録音された
 拍手じゃないか」
そう思う日があってもだ。

そして管理職になったことで

なお一層

今いる舞台の終わりが

見えるのだった。

 

 

どんなにがんばっても、

脚本の終わりは

おそらく変わらない。

 

舞台を降りた自分に

何ができるのかと怖れ、

 

そのシナリオに従って

生きるのが安心で安全だと

信じこませ、

型にはまった演技を

続けている私がいたのだった。

受話器を取る日

違和感を感じた

震災のあの日から5年以上が

経っていた。

 

管理職という

与えられた役目を

変わらず演じていた私に、

娘が生まれた。

 

目の前で

舞台もシナリオも、

 

それこそ呼吸するように

創造しつづけている

娘の姿があり、

 

いのちのまま

生きる姿に

笑顔になる私たちがいた。

 

誰かから奪って

笑むのではなく、

 

いのちが望むままに

創造し表現するとき

 

人は、人を笑顔にする。

 

 

育休中、毎瞬

その姿に触れ、

そして当たり前だった

かつての舞台に

戻った時、

 

 

違う。

 

 

もはや、

呼吸することも

ままならないほど

苦しいと感じる私がいた。

 

 

ずっと与えられた舞台で

与えられた脚本を

生きることが正しいと

信じてきた。

 

 

この舞台を

「ありがたいと思わなくては」

 

と自らに言い聞かせ、

 

さらには、

部下や後輩たちにまで

 

「ありがたいと

思ってもらわねば」

 

そう演じるべく

意気込んでいた

自分に気づく。

 

目眩どころか、

吐き気がした。

 

 

私自身、

「言い聞かせていた」だけで

「望んでいた」わけではない。

 

それなのに

「ありがたい」と

こころにもないことを

誰かに洗脳までして。

 

とても耐えられなかった。

 

 

当時の私に

新たな舞台で

自ら脚本を作る自信が

あったわけではない。

 

 

それでも、

 

「もう、誰も笑顔にしない

 仕事はできない」

 

わたしはそれ以上会社に

行くことはできず号泣して

家へと引き返した。

 

もうこの舞台で

演じることができない自分。

 

鳴り止まぬ電話の

受話器を取るしかない

もはやそれ以外の選択肢は

残されていない私が

そこにいたのだった。

 

対岸の自分を抱きしめて

 

「ああ、この子たちは

どう生きたいか

決めてきている」

 

娘や子供たちを見ていると、

どんないのちも、

天命、いのちの目的を

携えて生まれてきている。

そうとしか思えない

姿に溢れていた。

 

では、私はどうだろう?

 

そう問いかけると、途端に

視界が曇り、

霧に包まれていくのだった。

 

一体なんのために

生まれてきたのか。

 

問いかけ始めると

戻ることのできない

自分がいた。

 

最初は「働き方」への

問いから始まったが

働くことは生きることそのものだと

すぐにそう感じたのだった。

 

でも、

ただ自分であればいい。

ただ生きることが仕事になる。

とは思えなかった。

 

一体、自分に何ができるのだろう。

「何もない」という不安から

会社や肩書きの代わりとなるものを

最初は探し求めた。

 

学生時代に興味をもった

心理学、コーチングから

学び始めたのだった。

 

もちろんその学びは

無駄ではなかったし、

ブログなどを書き綴っているうちに

書くことが好きな自分と

再会しライティングを学び始めた。

 

ただ文章を書くだけではなく、

言語と非言語の

気配を纏う「詩」を書くのに

夢中になったこともあった。

 

腐らない貨幣経済の真ん中で

自らのいのちを切り売りしてきた

私にとって、

「詩人」

自らそう名乗った瞬間というのは、

 

まるで対岸にいる

向こう側の自分、

でもずっとそこにいた自分を

もう一度抱きしめるような

感覚だったのだ。

 

いのちのまま表現するとき、宇宙が応援してくれる

 

人間以外の

生きとし生けるもの

いや、この世の何もかもが

その宿されたいのちを

果たしているのに、

人間はどうして

忘れてしまうのか。

 

詩は私に自分のいのちの

鼓動を思い出させてくれる

そんな贈り物だった。

 

いかに生きようと

生まれてきたのか。

 

その答えの全貌が

明らかになったわけでは

なかったが、

生きる喜びと情熱が

そこにあった。

 

自分には何もない。

そう思っていた私だったのに

書いた詩が

雑誌に載るという形で

見ず知らずの人に届いたり

挿絵をいれてもらえたり、

あるいは

大好きな土地や

人との縁を結んでくれた。

 

夢中で果たせることを

果たすとき、

不思議なことが起こる。

 

宇宙が味方してくれる、

そんな体験だったと思う。

 

私にとって詩を書くことは

「内外の自然を感じ、表現すること」

そのものだった。

 

自分という自然の一部と

対峙を繰り返しながら

「響き合う」ことを願う

自分がそこにいた。

 

いのちは、

そのいのちの限り

天命を全うしたいと

願い続けているのだ。

 

 

啓示は始まりに過ぎない

 

かつて3.11の時、

与えられた舞台から

降りることはできなかった、

そんな私に

いのちは諦めることなく

警笛を鳴らし続けた。

 

いのちが願う生き方に

逆らえば逆らうほど

その音量を増していった。

 

受話器を取る以外の選択が

ないというところまで

追い詰められて私は

受話器をとった。

 

でも、

自分を覆い隠し続けてきた

私にとって、

その啓示は、

雷に打たれるように

自らの天命が明らかになる。

 

という美しいものではなく、

むしろここからが

本当の始まりだった。

 

会社や肩書きにこだわってきた

私にとって、

裸の、無垢の自分は

あまりに無防備で無力に思えた。

 

無能な自分を

さらけだすのは怖くて

資格という袈裟を纏って

また別の自分を演じようとしたのだ。

 

でも、資格は自分を生きることを

サポートしてくれることはあっても、

それが「自分を生きること」

そのものにはなり得ない。

 

自分の本性を明らかにしながら

着実に自分を生きることの自信も

同時に回復していくことが必要だ。

 

焦りたくなるかもしれないが

何十年と封じていた自分を

もう一度抱きしめるのは

それなりに時間がかかる。

 

でも間違いなく

時間をかける価値がある。

 

 

物語にいのちの鼓動を感じて

 

私が書くこと、ライティング、

特にストーリーライティングを

書くことを専門に伝えているのは、

 

生きることは

物語そのものだからだ。

 

これまで生きてきた物語に

本当に生きたい物語の胎動があり、

そして、その胎動を自らの内に

感じることは、

いのちが願う物語を

生きゆく力になるからだ。

 

「書くこと」は

自分の分身のような

存在でもあり、

自分との対話もできる

大切な相棒になってくれる。

 

あなたは、どんな物語を

生きてきただろうか。

そして、本当は

どんな物語を生きたいと

願っているだろうか。

 

心配しないでほしい。

 

誰もが、本当に生きたい物語を

生きる力を宿して生まれてきている。

 

そして、それはいつからでも

描き始めることができる。

 

ろっぺん

 

 

 

 

 

2 件のコメント

  • わたしは小説を書きたいという、天啓のようなものが光のように差し込んだとき、書いたこともなろうとおもったこともほとんど無かったため、わけもわからず
    それでも60ページまで書くことができて、賞に出せるのはあともう少しのとこで躓いていました。書かなきゃいけないけど、なにかを恐れていました。
    見たこともない景色を見るのが、そして見れなかった場合が、怖かったのかもしれません。
    ですがあなたの文章をよんでいたら、その光が注いだ瞬間を思い出した気がします。
    頑張らなきゃ、あと少し。恐れずに。そうおもって、書き切ります。

    • ありがとうございます。
      是非小説、書き切ってください。
      しほさんに書かれるべき物語に呼ばれているのだと思います^^

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